ノンアルビューティフルワールド

断酒をして依存から立ち直りビューティフルライフを目指すブログ

お酒に振り回される人生の始まり。お酒まみれの最低な環境で育ったこども時代

今日は、私の家の話をします。

自分もお酒に飲まれていた最低な人間だった訳ですが

幼き頃からアルコールに支配される仕組みは整っていた様に思います。

 

物心が付く頃から周りにはお酒

 

1976年北海道に生まれた私。

当初は父親がいたらしいが、4歳の時に母と離婚。

私の記憶は、母と祖母の3人暮らしから始まります。

少しだけ祖父も一緒に住んでいたけれど4歳の時に死去。

胃がん。50代にして死去。

まだまだ若かったのですが、今思えばお酒による早死だったのではないかと思います。

祖父の記憶はほんの少しだけあります。

祖父母がいつも家で宴会状態。お酒を飲みながら初孫の私を奪い合っている状況でした。

 幼き頃から『早く一緒にお酒が飲みたいな』と祖父母、母に言われながら育ちました。

親戚は、お酒が飲めない人がいないくらい大酒飲みの家族でした。

 

昭和55年。

まだまだ世の中に『離婚』が根付いておらず、幼稚園に行ってお友達に

「どうしてお名前が変わったの?」と質問されまくりました。

私はその頃から既にメンタルが強くて「離婚したから」とあまり意味もわからずに答えていました。

当時、親が離婚した子は他におらずいじめの対象になる要素しかありませんでしたが

落ち込まない、気にしない、かまわないというマイペースな性格のため全くいじめられることはありませんでした。

振り返って思えば、幼稚園の子が「どうして名前(苗字)が変わったのか」などと

気付く訳もなく(下の名前をちゃん付けで呼んでいるので苗字など知らない)、親たちが噂をしていたのでしょう。子供は親を見て育つのですね。。。

 

さらに昭和55年頃に

学のない女が男と同じように稼ぐには、夜のお仕事に就くしかなかったようで

私の母は離婚後にスナック経営を始めました。

 

ちなみに祖母の学歴は『小3卒』母は『中卒』です。

この学歴の女二人が子供を一人育てるのは大変な事だったと思いますが

バブルに突入する頃でしたので、男がいなくても何とか食べていけたのだと思います。

 

小学時代はスナックのママの娘  

 

小学生の時の私の役割は、“ビールとウイスキーのお買い物”係。

リアルなガキの使いです(笑)

お酒の集まりで家に人が来ると、お酒が足りなくなりいつも買い物に行かされて

1人でお酒を運ぶのがとてもとても大変だった。。。

女3人(うち子供1人)の家なのに、宴会ばっかり行われるかなり変わった家でした。

我が家のトップ(主)の祖母は、人を集めて偉そうにお酒を飲むという他では見たことのない強烈なおばあちゃんでした。

  

夜は祖母と二人。母は夜仕事でいませんでした。

祖母も働いており仕事が終わって帰ってきたら夜はいつも晩酌

私は祖母の晩酌と共に食事を取るので、ごはんを食べるのがものすごく遅い子でした。

 

私の周りにはいつもお酒がありお酒があるのが当たり前の生活でした。女がお酒を飲むというのも、私にとってはごくごく普通のこと。

 

母が店を閉めて帰ってくるのは夜中0時を過ぎてから。

酔って帰ってくるとドタバタ聞こえるので目が覚めます。

帰ってきて、“気持ち悪そうにしているな”と思うと母のベットの枕元に洗面器を運んだり。。。酔った人への気遣いがよくできる子どもでした。

 

母は、仕事に行ったっきり帰ってこないこともありました。

そんな時は、祖母と一緒に暮らしていて本当に良かったな~。と思いました。

夜に一人ぼっちなのは我慢ができるけど、帰ってこないのは心配だしとても寂しかった。。。

 

この頃には、人が酔うとどうなるのかを熟知していました。

具合が悪くて起き上がれなかったり、何も口に出来ないほど気持ち悪くなり吐いたり

迎え酒をしたり、酔った人がお金をばらまき始めたり、子供のことを放って遊びに行ったり、泣いたり馬鹿笑いしたり。。。

 

それを見ても不思議と『こんな風にはなりたくない』とは思いませんでした。

むしろ『みんな楽しそう!』私にはそう見えました。

 

小学4年生の頃には、お酒を買いに行く係+お酒を運んでもてなす係に昇格していました。

 

家で宴会が繰り広げられているとき、

テーブルの上にあるお酒がなくなっていないかチェックし、なくなる直前の絶妙なタイミングで冷え冷えの缶ビールを出し泡を程よく立てながらグラスに注ぐ

空き缶の片付け洗い物。時には、モノマネをして笑わせ灰皿交換に至るまで徹底的に母に教え込まれました。

 

子供だからと言って大人が飲んでいる時に、騒いだりはしゃいだり大人に甘えたりすることは一切許されません。必要ならばモノマネをして見せますが、求められていないときは絶対にしません。

大人が楽しんでいるのを、少し下がってみているだけ。お手伝い以外は大人しく見ているだけでした。必要のない時に動くと、母に後ろでつねられます。

 

この様に、小学生にしてスナックで働く従業員にまで仕上がっていた私

親戚の集まりで従兄妹たちと遊ぶこともほとんどありません。

つまらないんです。子供と遊ぶのが。。。

大人がどんな風に酔っていくのかなんかやらかすんじゃないかワクワクしてみている方が楽しかったのです。

そして、気を利かせて働き褒められるのが楽しくて仕方なかったのです。

私の夢は、「お母さんのお店を継いでスナックのママ」になることでした。

小学生の私は自分の母がスナックのママであることを恥ずかしいとは全く思っていませんでしたし自慢していたくらいです(笑)

ですがさすがに、その夢は作文にはできず小学生の作文はいつもカメラマンになるとか適当に、思ってもいない作文を毎年書いていたものでした。

 

小学校ももうすぐ終わる6年生の冬。

突然母に『新しくお父さんになる人を紹介したい』と言われましたΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン

私はてっきり“どのお客さんかな!?”ワクワクしていました。

いつもたくさんのお店のお客さんが家に来て宴会をしたり、キャンプに連れて行ってくれたり、一緒に遊んでくれました。父親がいなくても寂しくないほど。

母はお客さんと色恋になることは一切なかったのですが(たぶん)、お友達みたいに接して楽しくお酒を飲んでいたお客さんの中に新しいお父さんがいるのだと思っていました。

それが、、、全然違う全く知らないオジサンΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン

しかも、私に弟が。。。母は既に妊娠していました。

弟ができるのは嬉しかったのですが、知らないオジサンがお父さんになるなんて嫌。

そう思いながら小学の卒業を迎えました。

 

酒乱と戦った中学時代

中学生に上がり母が結婚することに。祖母とは離れて暮らすことになりましたが

歩いて20分の所に引っ越すこととなりました。

母はスナックをたたんで専業主婦となりました。

宴会もないしお客さんも来ない家。私も失業しました。妊娠した母はお酒をやめました。

家で飲むのは新入りのオジサンだけ。

私はオジサンと打ち解けられませんでした。っていうか、嫌い

お酒は飲んでいるけど、陰気臭くて楽しくない。

お酒を飲む人をたくさん見てきましたが、陰気臭くて湿っぽく黙ってお酒を飲む人を見たのは人生13年間で初めてでした。

 

オジサンは酔っぱらうと

母に文句を言い、私にも文句を言い、私の友達にまで文句を言いました。

友達は家に寄り付かなくなりました。

そうこうしているうちに弟が産まれ可愛かったのですが、オジサンと絡みたくないので、必然的に弟とも絡むことはありませんでした。

そのうちにオジサンは母と結婚してから1年ほどで仕事を辞めました。

ずっと家にいて、ずっと酒を飲んでいるんです。

 

酒乱め!!!(我が家も全員酒乱だったが、気付いていない)

 

顔を見れば私と口論。私は祖母の家に逃げ込みました。

 

中学2年の時には、祖母と二人暮らし。

1度離れて暮らすまで気付かなかったのですが、祖母はお酒ばかり飲んでいて食事を作れなかったのです。

仕事をしてお酒を飲む。その毎日の繰り返し。

今までのごはんの支度は全て母がやっていたんだと知りました。

祖母が私のお弁当を作ってくれましたが(私の住んでいたところは給食がありませんでした)

ガチの日の丸弁当でビックリし、慌てて次の日から自分で作ることにしました。

昭和初期、戦争を経験した婆さんが本気出したら怖いぜ。

 

この頃から中学の記憶があまりありません。

中学の教師からは、いつも叩かれました。授業中、喋りまくっていたから自分が悪いのですが。。。

いつも言われた言葉は「お前は母子家庭だから躾がなっていない!」

ヒドイ。。。しかもみんなの前で罵声と共に女子生徒をビンタ

↑やられて笑ってましたけどね(笑)↑

そんな毎日を過ごし、気付けば友達からは総スカン。

弁当が日の丸だった、オジサンが友達にひどいことを言った修学旅行の時にシャンプーをポーチに入れずビニール袋に入れて持ってきたお風呂は2日に1回しか入れさせてもらえなかった、苗字がまた変わった、元スナックのママの娘、父親と血がつながっていない。からでも何でもなく女子全員に無視されました。

 

じゃあ何なの!?どうしてみんなシカトするの~!?

 

理由は、当時彼氏が出来たのですが『学年で1番モテていた男の子が私に告白して付き合うことになった』からです。←ちょっと自慢w

 

私の家庭事情がいじめられる要素たっぷり過ぎたのと、オジサンのせいでシカトだと思っていたのでそんな理由ならどうでもいいわ。

男子の友達が喋ってくれたので、あまり気にせず過ごしていました。

3か月ほどで付き合っていた男の子と別れると、友達が今まで通りに戻り(友達でも何でもないw)母はおじさんと離婚して、私と母と弟の3人暮らしが始まりました。

祖母の家は歩いて3分でほとんど一緒に暮らしているのと変わらない近さでした。

 

そこから記憶が戻っています。

ただ中学2年のあの時ばかりは、あまりに地獄過ぎてさすがの私にも堪えましたね~。

記憶がほとんどすっ飛ぶほどです(笑)

良く乗り切りました(^_-)-☆

 

 

思い返せば幼い頃からお酒に振り回されていた

 

振り返って考えると、昔からお酒に振り回されている人生

大人たちがお酒を飲んでいなければ、もっと私は豊かな幼少時代を過ごせたはずです。

祖母も母も、子供をほったらかしてお酒を飲んでいたんです。

自分が楽しむために。

母はそれが仕事だったから仕方のないことだったのかもしれません。

私もそう認識していましたが、本当にそうでしょうか?

 

お酒をやめた今、仕方がなかったとは言えないと思い直しています。

お酒を飲んでいなければ、私が母と過ごせる時間はもっともっとあったと思います。

私が寂しい思いをする時間はもっと少なかったはずです。

お酒の注ぎ方や宴会での立ち振る舞いは教えてもらっても、

学校へ行く準備や机の整理整頓の仕方、身支度に至るまで普通の小学生が母親から学ぶことをきちんと教えてもらっていませんでした。

結婚して夫が洗濯物の片付け方を教えてくれたり、働くようになってから靴紐の縛り方を学んだり、、、言うとキリがないのですがごく普通の一般的な事でも知らないことだらけでした。

母はスナックを経営していたため、“人にどう見られる”かどのようにして“人に瞬時に気に入られるか”そういった表面的な事ばかり教えてくれましたが、幼少期に学ぶべきことを何も教えてくれなかったと思います。

祖母は母に足りない所をカバーしてくれましたが、料理も作れず家事は一切できない。家事は全て母に任せていたし、母が幼少の頃から祖母は何もしなかったそうです。

祖父はお酒を飲んで遊びに行ったっきり帰ってこず、たまに帰ってきてお酒を飲みお金を持っていくような人で、戦後の大変だった時期に女一人で3人の子供を育てたので、ただお金を稼ぐことしかしていなかったそうです。

そんな祖母は働き疲れて、男の様に酒を飲む。母も同じように子供を食べさせるために一生懸命働き、男の様に酒を飲む。

家に帰ってきた時くらい、好きにさせてよ。そんな感覚でしょうか。

 

母も祖母も健在です。

昔のことを恨んではいませんし、今も二人のことは好きなのですが

時々強烈に、あんた達のせいで!!!という思いが襲ってくることも事実です。

私がどんな思いで過ごしてきたか、言っても無駄ですし

「辛い思いをさせた」と思ってくれたとしても、

根本的に考え方は変わらないでしょうし、自分達は間違っていない。

辛かったから頑張ったから、飲むしかなかった飲んで何が悪い。と言うでしょう。

 

蛙の子は蛙

残念ながら私も同じような人間になっていったのです。

 

こんなにもわかっているのに、同じようになるなんて。。。

お酒に振り回され続けた人生の始まりです。